日本の大学を卒業してから2年間、州立カリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)に留学していたのですが、当時のエピソードを、時々、UPしていきたいと思います。日本の大学では、体育会のクラブに所属していたため、卒業するのがやっとだったのですが(笑)、卒業後、州立カリフォルニア大学のsecond major(第二専攻)のプログラム(2年間)に入学することが認められました。 TOEFLのスコアと論文が何とか、合格レベルに達していたようですが(ギリギリだったと思います)、本当にラッキーだったと思います。 カリフォルニア大学での2年間は、私の人生を大きく変えた経験(life-altering experience)となりました。 将来、国際機関に勤務することが夢で、とりあえず、政治学部に入学しましたが、最初は、授業の半分くらいしか理解できませんでした。 が、かなりの量のreading assignmentとdebateでしごかれ、何とか、dropoutしないでくらりついていました。 たくさんの友人にも支えられ、卒業するときには、Honors in the Major(学部優等賞)とCollege Honors(大学優等賞)の両方を授与されました。学内に張り出された通知に私の名前が掲載されているよと友人に言われた時は、本当にビックリしました。(まさか、自分が選ばれるとは夢にも思ってもいなかったので…) 卒業式で表彰されることになり、日本から両親もかけつけ、そのときは、最後まであきらめないで本当によかったと思いました。原爆、人口問題、政治哲学、南北問題に関する研究発表など、あっという間の2年間で、生まれてはじめて集中して勉強したように思います。大学院に進みたかったのですが、机上論ではなく、実際に仕事をする事に意義を感じ、就職活動をはじめましたが、日本では、中途採用のシステムがなかったため、とても苦労しました。 取り急ぎ、神戸市にある、国際学校、カナディアン・アカデミーの校長先生(secondary school)の秘書になり、通訳になる勉強をはじめました。 今から思うと、日本の大学(神戸女学院大学)で、英語論文の書き方の基礎を学んでいた事がよかったのだと思います。(Bibliography, quotation,などをつけて、plagiarism(盗作)が、あってはいけない事を徹底して指導されました。 米国大学では、plagiarismがあると、academic dishonestyという事で、学校をやめさせられる事さえありました。)