前回(通訳かけだしの頃)の続きです。 2年間ほど、神戸製鋼で技術通訳・翻訳の仕事を経験後、家族の事情で、東京(横浜)に転居することになり、とりあえず、また、通訳・翻訳エージェントに登録して、フリーでお仕事をお引き受けしていました。 が、やはりフルタイムの規則正しい仕事を探していたところ、神奈川県庁が通訳職を募集しているという求人広告を見て応募しました。公務員試験、専門職の試験、日英での面接など5次試験くらいまであり、まさか、突破できるとは思ってもいなかったのですが、最終選考まで残り、2名の採用枠に入りました。神奈川県に入庁後は、神奈川県渉外部国際交流課に所属し、知事・副知事通訳、米軍基地関連通訳、姉妹州関連の通訳(米国メリーランド州、マレーシアのペナン州、オーストラリアのゴールドコースト、スウエーデンのエーテボリ、ドイツのバーデンビュルテンベルグ州など)、公的文書の翻訳が主な任務でした。 在職中に、福祉政策、環境政策、経済政策、教育問題、女性問題、文化交流など、様々な分野の仕事を経験することできました。 当時は、バブル経済のまっただ中で、海外出張なども多く、超多忙の毎日を送っていました。また、米軍関連の英文契約書類の作成などでは、通訳職の厳しい上司にみっちりしごかれ、今でも、当時の上司には感謝の気持ちでいっぱいです。神奈川県庁での仕事は、とても充実していたのですが、2人の子供をかかえ、毎日、残業などをすることが難しかったこと、と、同時に自分で通訳・翻訳会社を起業してどこまでできるのか挑戦してみたかったことなどもあり、県庁に入って5年目に退職をして、フリーになる道を選びました。 安定した公務員の仕事をやめる時は、かなり悩みましたが、自分の夢に向かって一歩踏み出し、JETS, Inc.(有限会社 ジェッツ・インコーポレイテッド)をスタートさせました。 JETSは、Japanese English Translation Serviceの頭文字をとりました。今のJETS Academyの母体となります。 つづく