https://thehill.com/homenews/news/535052-read-transcript-of-amanda-gormans-inaugural-poem?fbclid=IwAR36ONcvSjZjRQM7rX_4v8wyjR6I1rS7DruUeJdITBCx9Bbih0AHL_shv0A
“今回ゴーマンさんが朗読した「The Hill We Climb(私たちがのぼる丘)」の全文和訳を、以下に紹介する。
※和訳の表現は、原文の表現や解釈と厳密には異なる場合がある。
夜が明ける時、私たちは自分に問いかける。決して終わらないように見える陰の中、一体どこに光があるのかと。
私たちは、失なったものを背負い、海を渡らねばならない。
私たちは、窮地に立ち向かい、学んできた。静けさが平和だとは限らないことを。そして「正義」を定義する規範や概念が、必ずしも常に正しいとは限らないことを。
それでも、私たちが気づく前に、夜明けはやってくる。
なんとかして、私たちはやり遂げるのだ。
なんとかして、私たちは乗り越え、そして目にした。この国は崩壊したわけではなく、ただ未完成だったのだと。
奴隷の子孫で、シングルマザーに育てられた痩せっぽちの黒人の女の子が、大統領になるのを夢見ることができる。その子が、ひとりの大統領ために詩を朗読する。
私たちは、そんな国と時代の継承者なのだ。
確かに、私たちは洗練されたものとは程遠く、純粋で無傷なものともほど遠い。しかし、私たちは完璧な共同体を目指しているわけではない。
私たちは、目的のある共同体を目指しているのだ。
あらゆる人の文化、肌の色、性格、状況を受け止められる国を作るために。
だからこそ、私たちの間に立ちはだかるものではなく、私たちの前に立ちはだかるものに目を向けよう。
分断を終わらせよう。なぜなら私たちは、未来を第一に考えるから。まずは、それぞれの違いに執着するのをやめなければならない。
武器を置いて両手を広げよう。互いの手と手が届くように。
私たちは誰にも危害を加えない。すべての人のために、調和を求める。
せめて、これは真実だと世界に知らしめたい。
嘆きながらも、私たちは成長した。
傷つきながらも、希望を抱いた。
疲弊しながらも、挑戦した。
私たちは永遠に結ばれ、勝利を手にするだろう。
これから先、もう二度と敗北しないからではない。もう二度と、分断の種をまかないからだ。
それぞれが自分のブドウの木やイチジクの木の下に座り、誰も恐れる必要のない世界を描くようにと、聖書は私たちに説いている。
私たちの時代に適うとすれば、刃の中に勝利はない。私たちが架けてきた全ての橋にこそ、勝利がある。
それが約束の地、私たちが恐れずにのぼろうとする丘だ。
アメリカ人であるというのは、私たちが引き継ぐ誇り以上の意味がある。
アメリカ人であるというのは、私たちが足を踏み入れた過去と、それをどう修復するかだ。
国を共有するどころか、粉砕してしまった力を私たちは見てきた。
それが民主主義を遅らせるものなら、私たちの国は滅びてしまう。あと少しで、滅びてしまうところだった。
しかし、民主主義は一時的に止まることがあれど、永遠に敗北することはない。
この真実と信念をもってして、私たちは信じている。私たちが未来を見ているその時、歴史は私たちを見ているから。
今はまさに、償いの時代だ。はじめ、私たちは恐れていた。
そんな恐ろしい時代を引き継ぐ覚悟は、できていないように感じていたから。
そんな中でも、私たちは新たな章を書き上げ、希望と笑いを届ける力を見つけた。
この破滅的な状況に、一体どう打ち勝てるのか。かつて私たちはそう思っていた。でも今、こう宣誓できる。この壊滅的な状況は、果たして私たちに打ち勝てるか?
私たちは過去に戻るのではなく、未来に進む。傷つきながらも一体となっていて、優しくも大胆で、力強く自由な国へと。
私たちは脅しによって引き戻されたり、邪魔されたりはしない。なぜなら、私たちの不実行性や惰性が次の世代に引き継がれ、それが未来になることを知っているから。
私たちの失敗は、次の世代の重荷になる。でもひとつ、確かなことがある。
慈悲と権力を、権力と権利を私たちが融合させれば、愛が私たちの遺産になる。そして、私たちの子どもたちが生まれ持って得るものが変わるだろう。
だから、私たちに残された国よりも良い国を残そうではないか。
ブロンズ色の私の胸が呼吸をするたび、私たちは傷ついたこの世界を素晴らしいものへと変えていく。
黄金の丘がある西の地から、私たちは立ち上がる。
私たちの祖先が最初に革命を実現させたあの吹きさらしの北東の地から、私たちは立ち上がる。
湖畔の街に囲まれた中西部の地から、私たちは立ち上がる。
日が照る南の地から、私たちは立ち上がる。
私たちは再建し、和解し、回復する。
そして、私たちの国の隅という隅まで、多様で美しい国民が現れるだろう。打ちのめされて、それでも美しい姿で。
夜が明ける時、私たちは臆することなく、炎の影から一歩踏み出す。
私たちが解放すれば、夜明けはどんどん膨らんでいく。
光はいつもそこにある。私たちに、光を見る勇気があれば。
私たちが、光になる勇気があれば。”
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「それぞれが自分のブドウの木やイチジクの木の下に座り、誰も恐れる必要のない世界を描くようにと、聖書は私たちに説いている」のなかの「ブドウの木やイチジクの木」は、ジョージ・ワシントンが生涯で何度も使っていたフレーズに由来しているかもしれません。ひっかっていたので調べたら以下のようなものがありました。
https://www.mountvernon.org/library/digitalhistory/digital-encyclopedia/article/vine-and-fig-tree/?fbclid=IwAR1Z4yCps1970MnZg4EcP7nlL1DX0y0emujH7LGf32huh2G0WQzfauv4UBU